えんがちょ!

「千と千尋の神隠し」で、エ〜ンガチョ、キッタ!(セーフ!)
という場面を覚えているだろうか。
いつだったか、林望氏の投稿から。
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ひと昔の子どもたちには 水に流し浄化する という考えが
自然にあったように思う。
たとえばA君が犬のウンチを踏んづけてしまったら、友だちに「や〜い」
と囃され、A君が近付くとみんな逃げるだろう。
汚いものから身を守るために、周りの子ども達は「エンガチョ!」のおまじない。
さて、そのあとが肝心である。
その「エンガチョ」は、子どもたちによって小川など流れている水のところで
「エンガチョ、キッタ!」と言って、流され、浄められる。
かくして、ウンチを踏んだ不幸なA君はめでたく汚いものから解放され、
またみんなと何事もなかったように遊ぶのである。
これは水が穢れたものを浄めてくれるという古来からの考えのあわられであり、
また、ひと昔の人間関係もよく表している例であると思う。
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うろ覚えなので間違っている箇所もあるかもしれないが、
大体こんな内容であったかと記憶する。
ここでもうひとつ『ムーミンパパの「手帖」』からも少し引用したい。
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他人に対して憎しみや怒りを抱いてもよい空間とはどういう所だろうか。(略)
ヤンソンの作品に書かれるものは、ただその場所に行って、
ただ遠慮なく暗い気持ちを抱いていることができ、ひたすら他人を憎み続けたり、
思いきり腹を立てたり、あくまでも悲しみにひたっていることができるだけだ。
しかし、自分のそういう感情を圧さえつけずに、秘かに発散させられるおかげで、
気持ちが落ち着き、実際に犯罪を犯さずに済む….
「ミムラねえさん」と、ホムサははにかんだ声で言いました。
「もし、君がさ、とても大きな動物でさ、腹を立てたら、どこにいくと思う。」
ミムラねえさんはとっさに答えました。
「うちの裏ね、お勝手の裏の気味悪い森の中よ。
腹が立つとあそこへ行ってしまったものよ。」
「行ってしまったって、君が腹の立ったときのことなの?」
「違うわ。ムーミンのうちの人のことよ。あの人たちは、憂鬱なとき、
腹の立つとき、ひとりになってせいせいしたいときは、裏へ行ったわ。」
ホムサは足を一歩うしろに引いて大声をあげました。
「嘘っぱちだ、そんなこと。ムーミンたちは怒ったことなんてないんだ。」
……ホムサにはムーミンたちが、とりわけ彼がひそかに憧れているやさしい
ムーミンママが、腹を立てたり、ひとに憎しみを抱いたり、悲しみに浸ったり
することが信じられないのである。
しかし何日か経って、遇々裏山の「いかりの森」に迷いこんだりとき、
彼はこの森のもつ力に触れるとともに、こうした森の必要性と、
そうした空間を必要とする人間性とを理解するのである。
「ホムサは、森の中を奥へ入っていきました。
何にも考えないで、枝の下をからだをこごめてくぐり抜けたり、
這ったりしているうちに、頭の中が、あの水晶玉と同じように空っぽになりました。
そうだ、ムーミンママは、くたびれたり、腹が立ったり、がっかりしたり、
一人になりたいときには、あてもなく、果てしもなくうす暗いこの森を歩きまわって、
しょんぼりした気持ちをかみしめていたんだ…….。
ホムサにはまるっきり今までと違ったママが見えました。
すると、それがいかにもママらしく、自然に思えました。
『ムーミンパパの「手帖」東宏治著』より
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嫌な思い、不要な感情は流したり、昇華したりしてクリアにする。
そんなまじない(エンガチョ)や空間、とても大切なことのようです。